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インタビュー🎙️余計なものが何もない?貝塚市のハッピーな魅力とは

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インタビュー🎙️余計なものが何もない?貝塚市のハッピーな魅力とは
なんかいくらし編集部
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watch 2025.11.28

こんにちは。なんかいくらし事務局です。

今回は、貝塚市でおばんざい屋さんを営む縣紀子(あがたのりこ)さんにインタビューをしてきました。

貝塚市で生まれ育った縣さんは、元教員からパン屋を経て、現在は、古民家をリノベーションしたおばんざい屋さん「MALU。-農家のえんがわ-」を運営されています。

南海電鉄の沿線価値向上プロジェクトである沿線で輝いている「キーパーソン」としてもご活躍いただいています。

これまでの人生での様々な経験や、その経験を活かして、人との繋がりを大切に、貝塚市をもっと住み良いハッピーなまちへーーそんな素敵なお話をたくさん聞かせていただきました。

目次

1.はじめに

2.縣さんの思う貝塚市の魅力―余計なものが何もない!?―

3.これまでのお話~縣さんの様々な経験~

4.これからのお話~体験農園・目指している畑~

5.移住検討されている方へのメッセージ

1.はじめに

〇まずは、自己紹介をお願いします。

縣紀子(あがたのりこ)です。 

職業は、おばんざい屋さんの運営と、体験農園の運営をしています。 

経歴は貝塚市で生まれ育って、実家は専業農家です。今も兄が継いでくれています。

私は、中学校で数学の教師をしていました。

〇以前は教師をされていたんですね!それから今に至るまでのお話を聞かせてください。

はい、30歳の時に一念発起で教師を辞めて、パンが好きだったので、東京のパン屋さんで働いていました。

そこから独立して、まあ2年ぐらいお店をやっていたんですけど、その時に泉州の野菜も、東京の人にも食べてもらいたいなと思って、週末、軒先で売っていたら、それがすごい人気で。

その時初めて野菜に興味を持って・・・、農家やったのに初めて!

それまでは当たり前にありすぎたんですが、これがこんな美味しくて、みんなに喜んでもらえるっていうのを目の前で見たのが初めてでした。

なので、それがすごいなあって思って、自分の家族がやってくれていたことが、誇らしく思いました。

ただ、自分はその野菜を育てたことがなかったので、育ててみたいなって思ったのがきっかけで、貝塚に戻ってきて、今は体験農園をやりながら、自分も毎日試行錯誤しながらやっているという状況です。 

2.縣さんの思う貝塚市の魅力―余計なものが何もない!?―

〇生まれも育ちも貝塚市でとのことでしたが、貝塚市の魅力を教えてください。 

住んでいる人からは、「何もないよね」ってよく言われるんですけど。

私も昔はそう思っていたんですが、

何でも手に入る、すぐに行ける、どこでも何でもあるっていう東京の街を見た後に、貝塚に戻ってきて改めて思うことは、

「なんか、人が豊かに生きるために必要な最低限のものはちゃんとあって、余計なものが本当に何もないな。」っていう言い方の方が、なんかすごいハッピーな感じ、フィットする感じがしますね。

貝塚市は、人が結構たくさん住んでいますけど、バランスよくというか、田舎と都会の間ぐらいで、バランスよく住んでいるかなと思うので、まあ人とのつながりがしっかりできているというのが魅力ですね。 余計なものは何もないです。 

3.これまでのお話~縣さんの様々な経験~

〇いろいろご経験されてきたお話を聞かせてください。教師を辞めた後になぜパン屋になることを選ばれたんですか。

もともと、パン屋のオーナーになるっていう、それが夢やったんですよ。

大好きなパンの匂いを嗅けるじゃないですか。並んでるの見られるし。

でも、自分では作られへんから、そのパン屋のオーナーになるっていう目標を達成するんだったら、別にオーナーってことで、お金出せばいい。究極そうじゃないですか。パンは焼けなくってもパン屋にはなれる、、、一瞬そっち走りかけたんですけど、それは辞めました。 

教師になってから、仕事がもうめちゃくちゃ大変やった時に、「こんなんやってられるかー!もうパン屋になる!」って思って。パン屋に失礼ですけど。 

パン屋になるためにじゃないけど、いざ教師を辞めて、まず働くところから探そうと考え始めたときにたまたま気になったパン屋が東京にあって、メールを送ってみたら、面接してあげるよってなって。新幹線乗って面接してもらいに行って、その時に採用ってなりました。 

一日2000個パンを焼くようなお店やったんです。 

〇なぜそのパン屋さんが気になったんですか。 

オーナーシェフが書いた本があって、それを読んで、もうなんかここで働きたいと思ったんですよ。

なんかあんぱんの断面が表紙の本で、あんぱんのあんこって、どれぐらいの量がどの場所に入ってますかっていう話で。

ここのパン屋は真ん中じゃなくて、下に少しだけのあんこが入っているんです。焼いたらその上に空洞ができるんですって。でも空洞にも香りが閉じこもっているから、食べた時にここの部分もお料理だからという話をしてるわけです。

あんこの場所も上じゃなくて、真ん中じゃなくて、僕は下に置いていますと。

包むときにね、食べた時にあんこの甘みが先に来て、さくってなったときに、空洞部分の空間の香りがきて、パンの生地も楽しむんですって書いてありました。 

ほかには、クロワッサンはどんな形が良いんですかねという話もあって。

ケーキとかお料理やったら目の前で食べてくれる人がいたら、お客さんが食べる状況をある程度こちらでコントロールできるけど、パンって持って帰って食べるから、どんな状況でどこから食べるかとか、決められないんですよね。

こんなときにショートケーキ理論というのがあって。こうショートケーキって、大体この角のとがったとこから食べると思うんですけど。それに合わせてクロワッサンもこの形にしているんですって。形をデザインすることによって、食べる人の状況をこちらが意図した形で作り出すことができるっていうことで、 

こんな感じで、パン1個1個にこだわって、なんでこれをするのかっていうのを紐解いていて、これはやる、これはやらないとオーナーが決めている。

パンは作られへんけどここで働いてみたいと思ったのは、この本がきっかけでした。

貝塚から出たことない人間じゃないですか、教師とかで全然飲食とかやったことない。

すごい勇気がいることやったんです。でも、それが東京で良かったなって今は思います。

ここの近くやったらなんか多分そんなに変わんなかったなと思うし。

〇東京では、ご自分でお店もやっていたんですよね。 

私、何するんだっけとなってた時に、「経営者になりたいのか職人になりたいのかどっちなの?」とふと聞いてくれた人がいて。

経営者になりたいって言ったら、「いつまでに?」って言われて、その時31歳だったと思うんですけど35までになりたいですって言ったら、「じゃもう逆算して、もう1年パン屋で経験積んだんやったら、もういいんちゃう?経営者になるための勉強なり人脈なり、でいいんちゃうか」って言ってくれた時に、あ、たしかにって思って。 

それで辞めようとなったときに、「パンと野菜のお店」というのをやりたかったんです。なんか野菜も売ってて、パンも買えて、っていうようなお店をやりたくて、そのイメージを一人で考えて、そうしてたらたまたま物件を紹介してもらって、そこで自分で始めることになりました。

コロナど真ん中の時期でしたけどね、2020年の1月に始めて3月~4月に緊急事態宣言なって、卸先とか仕事が決まっていたところが、全部閉業してしまった。

そうなった時にもう目の前のお客さんに売るしかないからとりあえずオープンだってなって。 

でもそこ、もともとコンビニ跡地、外装とか何にも変えずにシャッター開けただけで始めたんですよ。

だから別に外装とかって関係ないなと思ったり。500円の『オープン』っていう旗を立てただけ。無駄なものはいらないんですよ。 

〇コロナで大変な時だったんですね。

そうですね、でも周りの人のつながりにすごい助けられて。 

パン屋も2年やって辞めるっていうときに行列で並んでくれるお客さんがたくさんいてて、

その最後のお客さんに、「この店がパン屋やからから来てたのか、もし私ここ漬物屋やったらどうします?」って言ったら、漬物屋やっても来てたかもって最後のお客さんが言ってくれたんですよ。

それがなんかすごいありがたい言葉っていうか、別に自分パン屋じゃなくても、何やってもいいなっていうのは、すごい確信を持てて、だから新しいことに挑戦しよう、体験農園をやってみようとか、おばんざい屋をやってみようって思うことができました。

まあ今のこのスタイルになったのは、料理長と知り合ったからで、料理長がもう料理大得意な人だったんで、じゃあこういうお店は任せよう、私は体験農園の方を中心にやろうってなりました。 

4.これからのお話~体験農園・目指している畑~

〇体験農園ではどういうものを育てているんですか。 

私は体験で楽しめるものに特化しているので、じゃがいもから始まって、大豆、さつまいも、落花生、お米は父親と一緒にやってて、あと今は玉ねぎとか人参とかですね。 

面積1つ1つはそんなに大きくないんですけど、種類豊富にやってます。 

〇体験農園に来られる方はどんな方が多いですか。 

ほとんどは、近隣の自転車で来れる範囲内の方ですが、畑が南海貝塚駅から、まあ歩いて来れるところにあるので、泉佐野とか、岸和田とか、たまに大阪市内から来てる方もいます。なんかSNSとかで知ってくれたみたいで。

〇年齢層はバラバラですか。 

そうですね。 

30代、40代の子育て世代の方とそのお子さん10歳ぐらいまでが多いですかね。 

50代の方はご夫婦で来られて、なんかこれからの第2の人生どんな風にしていこうかと考える中で、畑がもしかしたら癒しの場所というか、こうエネルギーの出る場所になるかなって言って、選んでくれている方もいます。

〇目指している畑とはどのようなものですか。 

収穫体験ってあんまりやってなくて、うちでは。

収穫体験ってなんかその時にお客さんが来て、収穫して、その時間を分かち合って、持って帰ってもらうっていう、そういう取り組みだと思うんですけど、それだと、点での繋がりになっちゃって、なんかもったいないなってすごい思ってて。

なので、農家としても、何度も何度も来てほしいなと思うし、その来てる人たちが、そこでその空間で繋がるっていうのがすごい私的には嬉しいことなので、だから何度も何度も来て、楽しめる仕掛けみたいなのをいつも考えるようにしています。 

このお店のおばんざい屋のサブタイトル「農家のえんがわ。」って書いているんですけど、それは、あの畑にも、通ずるものかなと、私は思っていて。

いつ行っても、誰か知ってる人がいて、“地域のつながり”がある。

今の時代、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでいる人とかすごい少ないけど、引っ越してきて、まわりに知っている人があんまりいないよっていう人でも、ちょっと畑に来て、一緒に体験したり、一緒に食べたりして美味しいねって言い合えたらなと。

こういうつながりが、じわじわ広がっていくと、住んでる人にとって、すごい『ハッピーかな』って思います。ピンチの時とか特にね。

もしかしたら、みんな学校行ってる間に大地震起きたとかなった時に、散り散りの場所にいてるときに、どこを集合場所にしますみたいな問題とかあるみたいで。でも、まあ子どもでも何回も行ったことあって、安心できる人と会える場所ってなった時に、ここのお店や畑が避難所の1つに、もしかしたらなり得る場所かなって思ってます。 

〇子どもたちの受け皿となる、安心できる場所なんですね。

もちろんあの元教師なんで、何かやり始めたらすごい熱中して、めっちゃしゃべってしまうから、学校みたいに「授業やん、これ」ってなるときあるんですけど。

大人の人も一緒ですよ。 

じゃがいもを育てましょうっていう取り組みを「ポテト部」っていう名前にしたんです。部活にするとちょっと学校っぽさ出てくるじゃないですか。みんなで美味しいお芋を取って、美味しく食べるぞっていう目標ができて。

それに向かってみんなで一緒に活動するってなると、4回しか集まる機会がないんですけど、最初はなんか「はじめまして」で自己紹介するんですけど、もうなんか3回目くらいから寂しなるんですよ。じゃがいもを育ててるだけなんですけど。じゃあ次スイートポテト部入りますか!?みたいな。 

〇結構皆さん仲良くなるんですね 

スーパーとかですれ違ったときに「あ、ポテト部の方です?」ってそんな会話が起こってるっていうのは、聞いたら面白いなと思います。「あ、違いましたっけ、コメコメクラブでしたっけ?」みたいな。コメコメクラブもあるんです。 

〇大人が熱中できる場所ってあんまりないんで、そういう場所いいですよね。 

子どもさんに体験させてみたいと思って、体験される方がほとんどなんですけど、まあそんな子どもさんも、こっちの思うように、作業するかって言ったらしないんで。

ちょっとみんな、トンボ飛んでたり、カエルの方が好きなんですよ。カエルの方行っちゃうし、もう水があったら、水辺の方行っちゃって、作業してたら、大人しかおれへんみたいなことは山ほどあります。

でも、それでもいいかなと思ってて、なんか体験しに来たんやからこれやりなさいって言われてやるのと自分から興味持ってやるのと、全然違うじゃないですか?

もう心が開いてるんか開いてないかで全然違うと思うんで。だから、もう畑という空間に入ったらもうそれでオッケーなんで、まあ99点ぐらいいってるので、あとは興味持った時に、こう伝えられるようにって思ってます。

最初はもう水辺ばっかり行ってた子が、「お母さん、あれなんか前来た時より大きくなってる。あれ何?」って自分から言ってきた時が、もう「チャーンス!」みたいな。 

畑という空間でちょっとこう気持ちも緩やかになって。まあ、別にここでおるだけでええで、別にええんやけど、なんか興味持った時に、「これはね・・・!」って

それが本当はやりたい教育でもあると思うんです。

たぶん教師は天職なんだと思います。 

だからなんか農業にこう携わろうと思った時に、兄は枝豆とかね、キャベツとか生産・出荷しているので、それを手伝って、自分も畑を借りて、この休耕地を耕していくっていうので、一農家になれるかなって思って、いろいろやってみようかなと思ったんですけど。 

でも、自分の得意を活かせるやり方って言ったら、この形が良いのかもと思って、今はその方向性でやっています。 

5.移住検討されている方へのメッセージ

〇最後に、移住検討者へのメッセージ をお願いします。

貝塚市は、おいしいものが近くにいっぱいありますし、それが体験できる場所もありますし、食べる場所もありますし、いろいろあるのですごい住むのにはめちゃくちゃいい街じゃないかなぁって思います。

急行も止まりますし。おもろい人も多いです。わかれへんけど。 

〇東京でのくらしはどうでしたか。

東京は人も物も建物も多すぎて、近くにものはあっても、じゃあそれと繋がってるかというと、繋がりは希薄かなと感じました。物の数ではないなと思いました。繋がれるチャンスはいっぱいあるんだけど、多すぎるのかなぁ。 

 東京でパン屋をしたのが荒川区っていう下町エリアで、商店街とか、めっちゃ活気づいてるようなとこやったんで。 

東京の中でも、私が生きやすい場所だったと思います。偶然、そこにたどり着きましたけど。

右も左も誰も、周りの人が知らない状況の時にも、お話しするのが好きな人とか、あの魚はこのお店で買って、お餅はここで買って、お野菜はここで買って、みたいなお買い物をする人が多かったんです。

だからパンはここに買いに来たみたいな人が、なんか受け入れてくれたっていう。おしゃべりしながら、お買い物するっていうのをすごい楽しんでいる方が多い街だったので。どちらかというと、まあ、泉州寄りだったかも。そういうところが住むには心地いいなと思いますね。 

〇貝塚に地縁の無い方が、ここにちょっと住んでみようかなという時に、縣さんがされている体験農園に来てみて、どんなところかなと見られる、いい機会にもなりますね。 

転勤してきて貝塚に住んで、周りに誰も知り合いがいないっていう人が、見つけてきてくれたりとかありますね。

それでつながりができて、例えば、社宅に入ってたけど、もうここに家を買って、あの定住しますみたいな人が出るかもしれないなっていう気もしてます・・・。

あ、こういう場所があるんやったら、とか、こういう地元の人ともつながれるんやったら、こういう人たちが周りにいているならって、ここで長く住んでもいいかなって思うような人が増えたらいいなと思います。

増えそうです。わかんないけど。 


今回は、貝塚市でおばんざい屋さんを営む縣紀子(あがたのりこ)さんにお話を伺いました。これまでの歩みや、これから挑戦したいこと、そして貝塚市のまちや人の魅力について、たっぷり語っていただきました。

インタビューを通じて感じたのは、人との繋がりの大切さと、泉州地域ならではのあたたかさ。

縣さんが手がける体験農園やおばんざい屋さんには、その思いがしっかりと息づいています。今後のご活躍がますます楽しみです。

新鮮な野菜やおばんざい、体験農園に興味のある方、そして、南海沿線・泉州地域への移住を考えている方にとって、きっと参考になるはずです。貝塚市のハッピーな魅力をぜひ体感しに来てください!

今後も、様々な方にインタビューを通じて、“南海沿線のまちの魅力”について、ご紹介していきますのでぜひお楽しみに!

※お店情報※

「MALU。-農家のえんがわ-」

住所:大阪府貝塚市海塚3丁目6-5

アクセス:南海本線「貝塚駅」徒歩約5分

営業時間

  • 水・木:11:00~17:30
  • 金:11:00~21:00
  • 土:11:00~15:00

定休日:月・火・日

公式Instagram@malu_nouka.engawa

インタビューの様子は、南海電鉄公式チャンネルでも公開中!ぜひご覧ください。

 

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